公益社団法人全国老人福祉施設協議会
会員ログイン
  • 全国老施協とは
  • 広報・情報・資料とは
  • 研修セミナーとは
  • 調査・研究
  • 行政資料
  •  

広報・情報・資料

介護作文・フォトコンテスト

  • 第7回介護作文・フォトコンテスト
    受賞作品まとめ(作品集) [PDF]
  • ダウンロード
  • 第7回介護作文・フォトコンテスト
    募集要項 [PDF]
  • ダウンロード

平成26年度(第7回)受賞作品一覧

過去の受賞作品はこちら

写真

最優秀賞

「お世話になります」、「こちらこそ」

(京都府 ヘンキ アプリドナル トマスさん)

 
優秀賞

「今の時代はええなぁ 私も着れるかな?」

(愛媛県 立川 博文さん ・ 田村 昌美さん)

優秀賞

「あ〜うれしい」

(新潟県 金井 一寿さん)

▲ページTOPへ

作文

最優秀賞

<一般部門>
「ノープロブレム!」

(山形県 佐藤 敦子さん)

デイサービスに行きたくないと言ったひいばあちゃん。自宅介護するひ孫の私は、ひいばあちゃんが、デイサービスに行ってる間、へやのそうじしながら考えてみた。車いす、寝たきりの生活を彩るものは何色の優しさなんだろう?
デイサービスの方々は、ひいばあちゃんの手に触れながら、おはよう・ありがとう・またね…陽だまりの優しさでひいばあちゃんの心を包んでいた。
デイサービスに行くことで、同じ世代の方々とふれあって昔のことをよく話すようになった。
あったかい、おふろに入れてもらって…
あったかい、ことばのシャワーあびて…
あったかい、ごはんをおいしいと食べて…
ひいばあちゃんの心、少しずつオープンになって自分から、ありがとうと伝えていた。
その頃から、少しずつ認知も進み、身体も弱くなり、デイサービスに行きたくても行けなくなって、かわりに訪問入浴のスタッフさん、家に来てくれた。
ひいばあちゃん、誰よりもおふろが好きだった。決められた時間内だけれども、嬉しそうだった。いつも、帰るころになると「また来るからね。元気でいてね。」と、声をかけ手を握ってくれた。
ふれあうって、身体だけじゃなく心まで優しさ伝わって、人から人へ優しさの風を心に受け取るように、バトン渡されていた。
自宅で最期をむかえるまで、訪問入浴のスタッフさん、ひいばあちゃんの身体いたわってくれていた。
私は、一人だけで介護していたんじゃなくて、たくさんの人に助けられていた。お借りしてるエアベットに助けられ、ケアマネージャーさんのマネージメントのおかげで快適に過ごせて、デイサービスで出会った職員さんやお友達の方々のおかげて、ひいばあちゃんの心はさみしくなかったはずです。
訪問入浴のスタッフさんも、ひいばあちゃんの心ほぐしてくれて、心から幸せそうでした。ひいばあちゃんにも、心から感謝しています。四年間の介護生活の中で、閉ざされてゆくものばかりではなかった。困難さえも、手を取りあって一日一日を楽しもうとすれば、辛いことより幸せを発見することができたから。
ノープロブレム!ひいばあちゃんから、ありがとう、助かるよ…と言われるたびに、こちらこそ、ありがとう…と返す言葉の中にはまごころがありました。大切なものほど、目には見えず、失いやすく、もろく儚いものですが、ひいばあちゃんの手となり足となり口となって生きられたことは、私にとって幸せな時間と心の財産です。命の尊さを知れたから、今日も私は、一生懸命生きていけるのです。
優しさの色は、光に近い白。いつも、反射してく人生の闇さえ照らせるように…と☆
 
優秀賞

<一般部門>
「介護士さんとの約束」

(石川県 神馬 せつをさん)

明けてゆく空を仰ぎ、さわやかな空気を胸いっぱいに吸い込みながら新聞配達に汗を流していると、あの介護士さんの爽やかな笑顔が蘇ってきます。



私たち家族が乗る自家用車が、居眠り運転の大型ダンプカーに追突され、一家での楽しいドライブが、一転して不幸のどん底に突き落とされるという、悲しい出来事になってしまいました。
救急病院に運ばれ、半年後に意識を回復した私の心と体には、激しい痛みが待ち受けていました。
全身が複雑骨折し、バラバラになった肋骨が喉に突き刺さった状態で、辛い検査や厳しい手術と本当に大変でした。
しかし、手術の度に何度も精密検査を繰り返したせいで、普通なら発見されないすい臓のガンが見つかりました。
そのとき介護してくださった老婦人の言葉が、今でも忘れられません。
「あなたは大変な事故に遭われました。しかし、もし事故に遭わなかったとしたら、間違いなくガンで命を落としていたそうですよ。家族のみなさんが犠牲になって、あなたを守って下さったのでしょう」と。
その話を聞き、人間の命の尊さと家族の大切さを再認識しましたが、それでも将来の光が見えず、笑顔を忘れた暗い療養生活を過ごしていました。
そんなとき、先の介護士さんがまた話しかけてくださいました。
「楽しいから笑うのではありません。笑っているから楽しくなるのです。悲しいから泣くのではありません。泣いているから悲しくなるのです。辛いでしょうが、嘘でもいいから笑うように努力してみてください。きっと楽しくなると思いますよ」と。
「楽しくもないのに笑えませんよ」と、その時は反発し抵抗もしましたが、確かに笑っていると訳もなく楽しくなってきて、他の患者さんとも笑顔で話せるようになりました。
その後の長いリハビリ生活を経て、事故から七年ぶりに社会復帰するとき、私の肩をポンと叩きながら、その介護士さんが話してくださいました。
「人間の知恵や技能が無限であることを、あなた自身が証明してくれました。今度はあなたが、心や体に悩みを抱えている人々の無限の力になってくださることを約束してくださいね」と。
その介護士さんとの約束を守り、現在は高齢者施設で介護のボランティア活動などもさせていただいております。
日々の暮らしは大変ですが、生きることと、生かされていること、そして、なにごとにも感謝できる笑顔の人生も、まんざら捨てたものではありません。
 
優秀賞

<一般部門>
「ありがとう、と言いたいのはわたしのほうでした。」

(栃木県 菅又 恵美子さん)

老人ホームで働き始めてから三十二年と半年がたちます。私は、老人の施設で働くとは夢にも思っていませんでした。それというのは、この施設の系列である保育園で働きたかったからです。しかし、その当時、退職する保母さんがいなかったので、理事長から「老人ホームで働いてみてはどうか。」と言われ、私も、お年寄りの方のお世話をすることも、やりがいのある仕事ではないかと思い、働かせていただくことにしました。
それから、私は必死に利用者様の生活のお手伝いをさせていただきました。しかし、利用者様と向き合っているうちに、利用者様から「若いのはダメだ」「若いくせに」など言われ始めました。その言葉を聞くたび、私の頬に涙が伝わっていきました。私は「お年寄りのお世話は向いていないのだろうか。」「仕事をやめようか。」など、考え込んでしまいました。「なぜ、一生懸命、利用者様の為に、頑張っても、いろんな事を言われなければならないのか」「どうしたら利用者様と、うまくいくのだろうか」と考えてみました。やはり、利用者様と私のコミュニケーションが、うまくとれなかったことに気が付きました。うわべだけの付き合いでは、だめだと思い、利用者様ひとりひとりの中に、自分をさらけだし入っていきました。すると、利用者様もいろいろと教えてくれたり、心配してくれたり、喜んでくれたりと、私の心の中に、入ってきてくれました。私は、感謝の気持ちで一杯でした。
それから私も、いろいろな事を経験し、現在は、主任生活相談員として利用者様ひとりひとりの悩みなどを聞きながら、利用者様が、毎日、楽しい生活が送れるようお手伝いをしています。
時々、ふと考えることがあります。時代が、変わって行くように、三十二年前の利用者様と現在の利用者様は、いろんな面で、違ってきています。例えば、入所の理由も違ってきているし、利用者様の考え方も違ってきているように思うことがあります。でも、変わってないのは、今も昔も、利用者様が人生の最期を迎えるとき、穏やかな顔で、目には、ひとつぶの涙、それが目じりから頬に伝わり落ちていき「ありがとう」と、唇が動いている。それを見るたび、私は、いつも思うのです。この利用者様に対して後悔のない介護ができたのだろうかと思うと、涙が自然と出てくるのです。
そして、人生の先輩として、「喜び」「感謝」「命の尊さ」「やりがい」を、施設の生活の中で、私に教えてくれました。だから、今の私は、胸をはって、この仕事を誇りに思いたい。そう、教えてくださったのは、利用者様です。だから、ありがとう、と言いたいのはわたしのほうでした。
 
佳作

<学生部門>
「看取る家族の闘い」

(栃木県 馬籠 美幸さん)

「じいちゃんを一人で逝かせない、みんなで看取ろう。」
そう家族で決めたあの時。私は、看取りはとても美しいもの、きれいなものだと思っていた。
祖父は倒れる直前まで車を運転していたほど元気な人だった。おしゃべり好きで、それがたまに傷だったが、よく働く人でもあった。そんな祖父が突然倒れ、意思疎通もままならないだけでなく、いつ亡くなってもおかしくない状態になった。家族で話し合い、施設と家を往復する生活が始まった。
日中は祖母が付き添い、学校や仕事から帰宅すると私や妹、姉が付き添い、夜は父と母が付き添った。いつ危篤になるかわからない祖父に、できるだけ傍にいたいという気持ちが強かった。
しかし、この祖父を中心とした生活に少しずつ疲れが見え出した。施設から祖父の状態が悪いと電話が入れば居室に留まり込む父と母。帰宅しても誰もいない家。休日には必ず祖父の元へ行くことが暗黙のルールとなっていた。いつの間にか『看取りたい』という気持ちが、『看取らなければ』という義務に変わっていた。
祖父の危篤の知らせが来たのは、疲れがピークにたまってきていた頃だった。居室へ行くと一生懸命に息をしている祖父。『ヴー』っと声を出して頑張っていた。今にも消えそうな命を目前にすると、もっと頑張ってほしいという気持ちと、もういいよという気持ちが入り混じった。家族で祖父の手を握り、ありがとうと伝えながら最期を看取った。悔いのない看取りだったと同時に、肩の力が抜けた瞬間だった。
私が祖父の看取りで初めて知ったのは、看取られる本人だけでなく、看取る家族にも闘いがあるということだった。あの生活をずっと続けることはできなかったと思う。祖父が嫌いだったわけではなく、むしろその逆で、みんなが祖父を大切にしたいと思っていた。
これから介護の仕事をしていく私。あの時どんな言葉をかけてもらいたかったのか。この経験を看取りをする家族だけでなく、介護をする家族の支えになれるように何ができるのかを考えていきたい。

▲ページTOPへ

短文

最優秀賞

<一般部門>

(愛媛県 瀬野 美保さん)

寒い日は
祖母の不自由な手を
擦ってあげた
手が温まると
その不自由な手で
私の頬を擦ってくれた
そのご褒美が
何より嬉しかった
 
優秀賞

<一般部門>

(千葉県 渡会 克男さん)

「抱いとくれ」と嫁の腕の中で息を引き取った姑。
嫁が目に涙をいっぱい浮かべて言った。
「介護したお陰で、やっと心が通じた」
 
優秀賞

<一般部門>

(岡山県 土肥 由美さん)

髪を切っても気付いてくれない主人。
気付いてくれるデイの利用者さん。
だから、仕事は辞められないのよ。
 
佳作

<学生部門>
「私があなたに贈る自己紹介」

(埼玉県 田口 秀信さん)

あなたが私の顔や名前を
何度も何度も忘れたとしても
私はあなたに何度も何度も
笑顔で自己紹介するよ

▲ページTOPへ