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介護作文・フォトコンテスト

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平成23年度(第5回)受賞作品一覧

過去の受賞作品はこちら

写真

最優秀賞

<一般の部>
「おばあちゃん、まかしとき」

(長崎県 山本 博美さん)主婦

 
最優秀賞

<学生の部>
「最期の最高の笑顔」

(石川県 本谷 朋美さん)大学生

 
優秀賞

<一般の部>
「笑顔いっぱいしゃぼん玉いっぱい」

(茨城県 石浜 郁夫さん)
特別養護老人ホーム静霞園 本部職員

優秀賞

<一般の部>
「お祭り大好き!」

(石川県 竹内 梢さん)
特別養護老人ホーム松美苑 介護専門員

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作文

最優秀賞

<一般の部>
「母への手紙」

(東京都 篠崎 正喜さん)

あなたが二年前に死んでから、来客はめっきり少なくなりました。でも、静かな午後にあなたが帰って来て、明るい声が聞こえることがあります。
「ただいま。元気に暮らしていたの。ご飯はちゃんと食べているの」
しかし、あなたの声はすぐに消え、一人暮らしの現実に引き戻されます。

九十七歳までの八年間に、肝臓がん手術に急性胃潰瘍からの吐血と、幾度も危機を乗り越えました。弱ったあなたをヘルパーやデイサービスの人たちがとても心配してくれました。そして元気になると、雨も雪も炎天の夏にも車椅子散歩を続けましたね。公園の草木や知人やペットたちも元気づけてくれましたね。
私が介護を続けられたのはあなたが働く姿を見て育ったからです。事業を興しては借金を重ねる父さんに代わって、あなたは身を粉にして働きましたね。あなたがコロッケの行商を始めた時、私たちは早朝からコロッケ作りを手伝いましたね。あの時代はみんな元気で、少々の躓きはものともせず乗り越えていました。

瞬く間に終末期はやって来ました。

しばしば低酸素で頭が混乱するあなたの世話に私は疲れ、先に逝くのではと心配しました。そんな夜に、ブザーで呼ばれたことがありました。不機嫌に用件を聞くと、あなたは笑顔で言いました。
「お月さまがとてもきれい。苦労をかけてごめんね。本当にありがとう」
あなたは頭がしっかりしている内に、「ありがとう」をどうしても伝えたかったのですね。
一緒に月を眺めながら、「どんなに手がかかっても、生きていてほしい」と言いたかったのに、何も言えなかったことを今も後悔しています。

死の七日前、外へ行きたいと言うあなたを玄関前に連れ出したことがありました。あの時、あなたは目を細めて遠い奥秩父の山並みを眺めていましたね。あれが、最期の車椅子になるとは、夢にも思ってもいませんでした。
七月一日朝、意識が戻らないあなたにヘルパーの方は優しく話しかけながら、体を拭いてくれましたね。お医者さんに今夜が危ないと告げられたのはその後でした 「終わったら電話しますので、最期は私一人で見送らせてください」
お願いすると、お医者さんは死にぎわのことを丁寧に教えて帰りました。

夕暮れ、近くの公園から「夕焼け小焼け」が聞こえました。酸素吸入をしてもあなたの意識は回復せず、タンを吸引しても苦しみは増すだけでした。胸に耳をあてると、乱れた心音が弱々しく聞こえました。
もう、何もせずに静かに見守るだけにしました。あなたとの別れを覚悟すると、涙が畳にポタポタと落ちました。
「ありがとう。もう、ゆっくり休んでもいいよ」
あなたの手をにぎり、髪をなでながら声をかけ続けました。やがて喘いでいた肩が動きを止め、表情が穏やかになって心音が消えました。
最期の吐息と心音を記憶できたのは、あなたの心遣いと思っています。
あなたの笑顔と「ありがとう」は、今も辛い時に救ってくれる大切な思い出です。
 
最優秀賞

<学生の部>
「おばあちゃん元気でね。」

(京都府 中村 碧さん)
小学生

わたしには、山なしにすんでいるおばあちゃんがいます。おばあちゃんは、病気で入いんした後、歩けなくなってしまって、わたしたちの家に来ることになりました。
わたしたちは、京都の福知山にすんでいて、パパがと中まで、車でおくってから、ママが、電車で車いすをもって、山なしまでむかえに行きました。ひさしぶりに会ったおばあちゃんは、元気そうだったけど、車にのったりするのも大へんそうで、少しやせていました。

わたしの家は、アパートの2かいです。家にはかいだんがあるので、かいだんのない家をさがしたけど見つからず、どうやっておへやにつれて行くかとても心ぱいでしたが、パパがおばあちゃんをおんぶしてママが後ろからささえてつれて行ってあげました。
おばあちゃんは、歩く練習をするために、松本病いんのデイサービスでリハビリをする事になりました。デイサービスの先生が、サラシという長いきれでおばあちゃんの体をささえておんぶして、つれて行ってくれました。リハビリでは、かいだんを上る練習をしたり、おもりをつけたぼうをふったりしていたそうです。つかれたり、やりたくなくなって休んでいると、おか田先生に、
「おきて下さい。」
と、大きな声で言われる、とわらいながら言っていました。来た時は、トイレに行く時も、ママがつれて行って、ズボンも下げてもらっていたけど、だんだん自分で下げられるようになっていました。かいだんも少しずつ上れるようになって、手すりの間に先生がひもをつけてくれました。おばあちゃんは、そのひもをつかんでかいだんを上っていました。わたしは、かいだんを早く上れるけれど、おばあちゃんは、あせを流しながら、一生けんめい上っていました。

歩けるようになったおばあちゃんは、山なしへ帰る事になりました。わたしは、おばあちゃんが帰った後、かなしくなりました。かいご用ベッドもあってせまかったけど、おばあちゃんが何かをしゃべると、にぎやかだったからです。おばあちゃんのベッドがあったへやを見て、ベッドがなかったから、
「おばあちゃんはもう帰ってこないんだなぁ」と思ってなみだが出ました。
次の日に、松本病いんに、お礼を言いに行きました。先生たちは、
「おばあちゃんがんばりましたね。」
「山なしに帰れてよかったですね。」
と、言ってくれました。それを聞いてわたしはかなしかったけど、
「がんばってよかったなぁ。」
と、うれしくなりました。
おばあちゃんが、これからも元気でいてほしいなぁと思いました。
 
優秀賞

<一般の部>
「かけがえの無い財産」

(兵庫県 原 八千子さん)
主婦

「今日はどうする?」
夫の朝のこのひと声が、今のわたしの生きがいになっている。

夫は突然脳梗塞で倒れ、三か月の入院治療をしたが、右手、右足に麻痺が残り、退院後は日常生活にも私の介添えが必要になった。しかし、夫は体の異変をなかなか受け入れられなくて、精神的にも相当落ち込んでしまった。その様子を見守る私も辛い日々になった。「このままではいけない」とは思っても、夫の姿を見ているとリハビリを勧める言葉もかけられず、ただ機嫌を損ねないように暮らすのが精一杯だった。

そんなある日、夫が「神戸のあの店の珈琲の味が懐かしいなあ」とつぶやいたそのひと言で「そうだ!夫の珈琲好きを生かそう!」と思い立った。
「珈琲を飲みに神戸へ行こう」と誘ったが、初めは乗り気ではなかった。以前、二人でよく歩いた神戸の街の話を話題にしているうちに、夫から「行ってみようか」という言葉が出てきた。嬉しかった!
商店街を『杖は嫌いだ』と言う夫の手を握り、そろりそろり、何度も立ち止まりながら、普通なら十分で歩けるところを、小一時間かけて珈琲店にたどり着いた。その時の夫の『感無量!』という顔は忘れられない。
店の人は、夫の様子を見ても「暫らくぶりですね」とさりげなく迎えてくれた。
元気印は自他共に認めるところであっただけに、今の自分の姿とのギャップに悩み、他人を避けがちになる日々であった夫が、自分から、発病以来のことを店主に話す姿を見て、私はそっと涙を拭った。
店主は、慰めたり励ましたりを言葉にせず、夫と目を合わせ顔を見ながら頷いているだけである。あれほど落ち込み、頑なになっていた夫の心がほぐされていくのが分かった。
私にさえ儘ならなかった奥深い心のしこりを溶かしてくれるのを目の当たりにして、夫がこの店に惹かれたのは、珈琲の味だけではなかったのだと気付いた。

初めての外出が成功したのをきっかけに、珈琲店通いが始まった。
長い距離を頑張って歩く夫の心のうちが、しっかりと繋いだ手から、私には言葉を超えた重みで伝わり感じ取れた。二人が健康であった頃には、素通りしてしまっていた感情である。
夫の病に寄り添うことで、私に与えられた心の財産である。これからも、もっと、もっと財産を増やせるように二人三脚を続けたい。
「あなた、明日の朝も『今日はどうする?』と、呼びかけてくださいね。私に生きる力をくれるこの声を待っていますから」
と、就寝している夫の背にそっと手を置いた。
 
優秀賞

<一般の部>
「本当の意味で「寄り添いたい」」

(長野県 大西 八代さん)
短大生

私が小学生の頃の話だ。同居していた祖母が介護が必要な状態になった。今まで元気に杖をつきながら歩き回っていたり、居間で一緒にテレビを見ながらご飯を食べたりしていた祖母が部屋から出てこなくなった。祖母の部屋にはいつしか介護用のベッドが置かれ、1日中寝たきりとなった。私は祖母が嫌いだった。お節介だし、怒ると自分の杖で容赦なく私の頭を叩く。寝たきりになったことで少しは大人しくなったかと思った。だけど、何か物足りない。今まで祖母が居て当たり前だった生活。寝たきりになってしまうだけでこんなにも生活が変化し、自分の気持ちも変わってしまうのかと感じた。

祖母の介護には母と伯母が携わった。母も伯母も毎日祖母の介護で忙しそうだった。食事や排泄、入浴など当時の私には携えないものばかりで正直、母や伯母がどのようにしていたのか記憶に無い。だが、私にも唯一出来ることがあった。食事介助と会話だ。

食事介助は知識も何も無いような10歳そこそこの娘が行うので母も伯母も怖かっただろうが、毎回私に任せてくれた。取っ手の丸く太いスプーンを使用し、おかゆや刻まれたおかず類を一生懸命、祖母の口へと運んだ。何度も何度も祖母のエプロンの上にこぼした。それでも祖母は「おいしい」と言いながら食べてくれた。
会話は祖母が寝てようが何してようが関係無い。私が学校から帰宅すると祖母のところに向かい、1日の出来事を1人で話し続ける。祖母も嫌な顔せず、ずっと聞いてくれていた。まだ何かしたくて元気になるように一生懸命妹と共に折り紙で鶴を折り続けた。「千羽鶴にしよう!」と言いながら。だが鶴が千羽に辿り着く前に祖母は他界してしまった。

すごく悲しかった。私は祖母に何が出来たのだろうと本気で考えた。その時に祖母のある言葉が浮かんだ。亡くなる前に、祖母に対し話し続ける私に「毎日毎日ありがとう」と言った。人からありがとう、と言ってもらえることがこんなにも嬉しいものなんだとその時初めて知った。
ちゃんとした介護を行っていたわけではない。自分が出来る精一杯のこと、出来るだけ傍にいたり、話をしたりしていただけなのに祖母に感謝の言葉をかけられた。もっと介護の知識があったら変わってたかな…とも思っていた私にとって驚くような発言であった。

この体験を通し、私は介護の道に進もうと決めた。誰かの役に立ちたい、笑顔が見たいととても強く感じたからだ。その経験が無かったら私は間違いなく介護の道には進まなかったと思う。現に実習に行き、実際に介護技術を行ったり会話をしていてたくさんのお年寄りの方々の笑顔を見てきた。とても幸せな気持ちになり、その気持ちに応えようとまた頑張れる。1人でも多くのお年寄りの方の笑顔を見ることができるようにこれからも常に勉強をして、本当の意味で「寄り添える」介護福祉士になりたいと思う。
ばあちゃん、素敵な夢をありがとう。大好きだよ。

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短文

最優秀賞

<一般の部>
「人生の先輩」

(福島県 小林 愛さん)
社会福祉法人かねやま福祉会 特別養護老人ホームかねやまホーム 養護係

「学校さはやぐいげ、おくれんぞ。」
おむつ交換に行って言われた言葉
ばあやにとって
私はまだまだ子供
だって約4倍生きてるんだから
 
最優秀賞

<学生の部>
「夢への後押し」

(栃木県 阿部 隼土さん)
専門学校

実習最後の日
貴方から貰った
「あんちゃんで良かった」
「頑張ってね」
その言葉があるから
介護福祉士になろうと思える
 
優秀賞

<一般の部>
「散歩」

(茨城県 小井田 啓子さん)

車椅子散歩の途中
他所のお宅の花がとりたいと
母はねだる
困っている私に
その家の方が微笑む
「いいですよ」
母は微笑む 私も微笑む
 
優秀賞

<一般の部>
「お守りのハガキ」

(北海道 渡邉 眞智子さん)
サンライズ居宅介護支援事業所 介護支援職員

自分で決めた終の棲家
幸せだと微笑む父のポケットには
息子が持たせた一枚のハガキ
“迎えに来い”の一行が
いつもお守り代わり

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