公益社団法人全国老人福祉施設協議会
会員ログイン
  • 全国老施協とは
  • 広報・情報・資料とは
  • 研修セミナーとは
  • 調査・研究
  • 行政資料
  •  

広報・情報・資料

介護作文・フォトコンテスト

  • 第1回介護作文・フォトコンテスト
    受賞作品まとめ(作品集) [PDF]
  • ダウンロード
  • 第1回介護作文・フォトコンテスト
    募集要項 [PDF]
  • ダウンロード

平成20年度(第1回)受賞作品一覧

過去の受賞作品はこちら

写真

最優秀賞

「dance!!」

(大阪府 藤田 健輔さん)

 
優秀賞

「おばあちゃん、楽しかったよ。また来るね」

(佐賀県 大野 昭子さん)

優秀賞

「ないしょ ないしょ」

(鹿児島県 竹之内 君枝さん)

▲ページTOPへ

作文

最優秀賞

「夕焼けの部屋で」

(山口県 山口 みあきさん)

「盗人が居る!私の指輪を全部盗んだ!」
背を起こしたベットの上から手が届く限りの物を投げ捨てる叔母が居た。88才。
この特養に入居して三年目。足を骨折したのと認知症が日毎に酷くなり、留守宅に一人で置いておけなくなった姪である私がすがる思いで申し込んだホームだった。

丘の上に建つ木の暖かさで包まれたその特養の叔母の個室からは、玄界灘に沈む夕陽が橙々色を海に飲み込まれる迄の始終を見る事ができた。生 母を幼少期に亡くした私を親がわりとなり育ててくれた母の姉。あんなにしっかりした強い女性だったのに、おむつまではずして介護職員さんに投げつける始末 だった。
「申し訳ありません!」
私は毎夕、仕事帰りに寄るだけの時間しかなく、日中の職員さんの苦労は直接目にする事はなかったけれども、部屋の様子が変化する度に胸が締めつけられる思いでいっぱいだった。

ここに来て二年目にガンを患っている事が判明し、治療を切望した私に主治医は優しく告げた。
「抗ガン剤治療で苦しい思いをして病院へ入っても、よく持って二年。 このままここで痛みだけを取って、二年ですよ。」
86才の身体は枯枝の手足だった。
「恐怖心と痛みだけは最大限取るように努力します。」
私の落ちる涙から眼をそらしながら白髪の主治医はカルテにペンを走らせた。
ターミナルケア
人生の終着駅が見える所にまで来た事を私は深く覚悟していた。

入所当時から担当の職員のNさん。
「全てを理解してあげる事は難しいかもしれません。
だけど田村さんの歩いてこられた80年の集大成です。
精一杯同じ気持ちで毎日を生きていきたいです。」
姪の私よりも優しい眼で叔母の表情を追っていた。
「海が夕陽で染まると必ず私を呼んでくれるんですよ。とっても綺麗だから一緒に見ようって。」
姪の私の名前さえ出なくなって久しいのに、Nさんの名前はいつも大声で呼ぶのだという。

ガンが肺に転移しだしてからは強盗が入っただのここは人殺しの家だと、耳をおおいたくなる様な暴言ばかりを吐き続けていた。
ホームでの夏祭りの夜、職員さん手作りのちらし寿司を持って来てくれた本人に投げつけた。
細い手首をつかみ強く叱責した私を見るキョトンとした空洞の瞳だった。
走って来たNさんの姿を見ると幼子の様に大声で泣きわめき私を酷い人だという。
Nさんは散らばった寿司を片付けながら「昨年はいっぱい食べたね。」と言った。
涙と申し訳なさで一杯の私に「いい写真、見ますか?」と微笑んだNさんだった。

三年分の毎週の叔母のアルバム。
一言ずつコメントが添えられていて涙の連続だった。
「これが私と田村さんの思い出です。」
表紙は美味しそうにフルーツパフェを食べる叔母。
私が叔母と生きてきた四十数年よりはるかに重い歴史があった。
純粋な子供に逆戻りする叔母を私より若いNさんが包んでいてくれた。
「受け入れてもらうには、受け入れる心さえあればいいんです。」
その言葉は今も深く私の中にしみこんでいる。
叔母は倖せな人でした。
 
優秀賞

「老いらくのきらめき」

(千葉県 近藤 真紀さん)

厳しい暑さの峠を越し、レースのカーテンから柔らかな日差しが差し込んでいる。肌をなでる優しい風が滑り込み、利用者の声をフロア内に響かせる。 「それでは始めさせていただきます」今日も緊張の俳句会が始まろうとしていた。ここは緑と花に囲まれたデイサービス。環境の良さは市内でも群を抜いてい る。いや、もしかしたら県内一かもしれない。自画自賛している我がデイサービスでは、週に一度俳句会が催され、切磋琢磨された句が次々と披露されていく。

手厳しい酷評に険しい顔をして両手を組む人。ネタが出ないと頭を抱え込む人。これが出来ないと風呂どころではないと憤慨する人。酷評は利用者だけでなく、容赦なく職員にもその矢は飛んでくる。そう、ここはお気楽な生活の延長ではなく、真剣勝負の世界なのだ。

時々思う。本当にこの方達は、要介護者なのだろうかと。確かに身体上のハンディキャップはあるものの、真剣な顔つきを見ていると圧倒されて しまうのだ。難聴・片麻痺・健忘なんてなんのその。ボケを突っ込まれてもボケで応戦。嫌味を言われても、すぐに忘れられるからへこたれない。これも立派な 特技のうち。その姿のなんと逞しいことか。なんと人間らしいことか。

俳句会が結成されて、丸二年が過ぎた。その間に、数名の方が旅立ちの時を迎え、入れ替わるように新しいメンバーが入会した。でも、私たちは 決して忘れない。俳句という財産を遺してくれたから。この会で「噂供養」という言葉も教わった。故人の思い出話に花を咲かせることが、何よりの供養とい う。お葬式に参列できなくても、墓前に手を合わせることができなくても、私たちにしか出来ないことがある。俳句を通して、いつまでも噂供養をしていこう。

先日、俳句会のメンバーから告白を受けた。
「こんな高齢になって、まさか君みたいな女性に出会えるとは思わなかったよ。人生最後の老いらくに、こんなに胸がドキドキするなんて。本当にここに来て良かった。本当に君に出会えて良かった。本当に、ありがとう」
そう話した方の顔は紅潮し、汗ばんでいるようだった。その光る汗が、私にはその方のきらめきに見えて仕方がなかった。
一生のうち、人は何回告白を受けるのだろう。いや、回数の多さは感動につながらない。その告白は、私にとって最高の告白だった。負けず嫌いの私は、職場では泣かないと決めている。その私の大きな目が、溢れる涙でいっぱいになった。
「こちらこそ、本当にありがとうございます」

介護の3Kとは何か。私はこう思う。きらめき・奇跡・感動。この経験がなかったら、悪しき3Kで終わっていたに違いない。介護に携わる人 が、自分なりの3Kを見つけることが出来たなら。今よりもっと輝けるだろう。今よりもっと強くなれるだろう。そして、優しい心と穏やかな眼差しをもつこと ができるだろう。

介護職を選択した時点で、独自の3Kを見つける冒険は、すでに始まっている。
 
優秀賞

「まほうの笑顔」

(岐阜県 松岡 明音さん)

私のお母さんは、特別養護老人ホームで働いています。 私は、休みの日などに、よくお母さんの職場に、ボランティアに行っています。 おじいさん、おばあさんと話をしたり、体そうをしたり、食事のお手伝いをさせてもらっています。

最初は、どう接したらいいのか分からなかったけれど、お母さんは、 「ただニコニコ笑ってすわってとなりにいてくれればいいよ。」といいました。 お母さんが、仕事をしているすがたを見ると、いつも楽しそうだし、笑顔で、おじいさんおばあさんに接しています。 ほかの職員の人も、ニコニコ笑っています。

初めて行ったとき、私は、何にも話すことができないでいましたが、一人のおばあさんのとなりにすわったときに、おばあさんの方から、笑って、私のほうに手をのばしてくれました。「うわあ、とびっきりの笑顔だね。こんな笑顔みたことないよ。」と職員の人が言いました。
食事のお手伝いをした時にも、そのおばあさんは、私の方を見て、ニコニコしながら、ご飯を食べました。「いつもと食べ方がちがうね。子供がいると、張り合いになるのかなあ。」と職員の人たちも嬉しそうでした。
私がそこにいるだけで、一人のおばあさんが、少しの時間でも笑顔ですごすことができたんだ、と思うと、くすぐったいような、とても嬉しい気持ちになりました。
何度も行くうちに、自分から話しかけることができるようになり、自然に笑顔で接することができるようになりました。

笑顔って、まほうみたいです。
一人が笑顔でいると、みんなも笑顔になっていきます。
私は、おじいさんおばあさんにいつも笑顔で生活してもらいたいな、と思います。

お母さんの仕事は時間も不規則だし、本当に大変だし、きっと嫌な事も沢山あると思います。
でも、職員の人たちは、「おじいさんおばあさんが笑ってくれると嬉しいし、よし頑張るぞ。」という気持ちになると言っています。
すごいなあと思います。

きっと今日もお母さんは、笑顔で仕事をしていると思います。まほうの笑顔で・・・。
おじいさんおばあさん職員の人たち。
みんなが笑顔ですごしていると思います。
私も、いつも笑顔ですごしていきたいです。
そして、沢山の人に笑顔のまほうをかけたいと思います。

▲ページTOPへ